吉田安夫先生
安らかにお眠りください。
1984年秋田県横手市で開催されたインターハイ。
私はバタフライ入社2年目。
インターハイのビデオ撮影のために、今では考えられないほど大きなビデオカメラや三脚を持ち込んでいました。
電源確保の300mの延長コードを会場フロア一面に敷き詰めるため、試合の準備が始まる前の早朝6時半に会場入りしました。
前日に会場警備員の方と仲良くなっていたので特別に会場に入ることができました。
試合前の誰もいない会場は、なんとも言えない雰囲気があります。
ところが、誰もいないはずの会場に吉田安夫先生が !
「おはようございます。先生、何をされているのですか?」
「セイのドライブは、ここまで曲がって飛んでくるから、それじゃフェンスが邪魔で、ヒロシの野郎がカットできねー」
セイとは、シチズン卓球部監督で当時三本木高校の伊藤誠氏。
ヒロシとは、渋谷浩 元全日本チャンピオン。
当時のタイムテーブルは、第1シードは第1コートで試合する組み方になっていました。会場の角になります。
高2の2人は、ランク決定で第1コートで対戦する組合せでした。
吉田先生は、フェンスを少しだけ移動させてヒロシが失点する可能性のある状況を回避。
「ここだけ変えたら可笑しくなるから、全部のフェンスを動かしているのよ」
吉田先生は、徹底した危機管理の指導者だと思います。
負けに繋がる要素は徹底的に排除する人でした。
このことからその後、吉田安夫先生の言動を注意深く観察して分析するようになりました。
【常勝の闘将】吉田安夫先生 合掌
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