昭和8年5月20日は、亡き父の誕生日。
いわゆる『昭和一桁世代』の男でした。
私が14歳の立志式を迎える前までは、食事をするときは正座させられて、会話なく黙々と食べさせられました。
当然、テレビは消されました。
たまに観る番組はNHKのニュースか、[新日本紀行」など紀行番組だけ
母は、第二次世界大戦の戦争体験の話をよくしてくれました。父は殆どしませんが、
「一つ上の先輩は子供だから戦争には行かないけど、工場に働きに出されたときに空襲にあって皆んないない」
この話しは何度も聞いた覚えがあります。
父の2人の兄は戦死していて、もう1人の兄も戦争が原因で亡くなっています。
しかし、その話は父から直接聞いたことはありませんでした。
父が生前最後に作ってくれた朝食の写真。
量が多過ぎですよね
裸一貫で商売を始めて、昭和の高度成長期を駆け抜け我々兄弟を何不自由なく育ててくれました。
大学2年生の時、インカレで優勝し、その後の盆休みで帰省したとき、
「本当は関西学院大学に入って
卓球やりたかったんだよ」
少し遠くを見てポツリと言った
父の笑顔が忘れられない
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