高木和 卓選手(青森山田中学~青森山田高等学校~東京アート㈱)以下、卓
私が青森山田で勤務を始めたのは、高木和 卓選手、大矢英俊選手、福原 愛選手らが中学1年の12月からでした。中学1年生の全日本カデットでは卓が14歳以下で優勝、13歳以下では大矢が優勝と、青森山田中学校が全国優勝の歴史を作り始めた年でした。私が来たときには卓はもう練習の虫。ほぼ毎晩のように夜の自主練習を行っていました。自主練習では毎晩遅くまで、高校に在籍していて全日本ジュニア2連覇した兄の健一選手と真剣なゲーム練習をしていました。
私が練習場を覗いてみると、その日もゲーム練習をしていました。
板垣「卓、今何ゲーム目?」
卓 「今2-2で5ゲーム目です。」
負けず嫌いな二人はゲーム練習とはいえ、本気で戦っています。そしてその日は兄の健一選手が勝ち!
健一「よ~し!今日は俺の勝ち!ありがとな。卓!」
卓 「お兄ちゃん、ちょっと待って!今日は7ゲームって言ったじゃん!」
普段は仲の良い兄弟ですが、こと、卓球の勝ち負けになると一歩も譲りません(笑)。
健一「わかったわかった。じゃあ俺があと1ゲームとったら4-2で勝ちね。」
こうして7ゲームマッチになった(らしい)ゲーム練習。私は夕食を食べに食堂に向かいました。
食堂から戻ると、まだ練習場の電気がついています。卓が負けて悔しくてトレーニングしてるのかな?
いや、まだゲーム練習をしていました。
板垣「健(健一選手)、今何ゲーム目?」
健一「今3-3で7ゲーム目です。」
板垣「カウントは?」
健一「5-5です。」…..。
卓 「よっしゃ~!俺、体力あるから7ゲームマッチは強いな。お兄ちゃん、ありがとうね。」
健一「ちょっと待てよ。9ゲームマッチって知ってるか?今日は9ゲームだろ!」
兄の権力を使い、5-4で勝った健一は、意気揚々として部屋に戻り、精根尽き果てた卓は、本気で悔しがりながら、練習場に寝転んでしまいました。
健一・卓のご両親は子供の練習を見に、時々青森に来てくださっていました。青森山田に勤務したばかりの私は色んなエピソードを聞かせてもらいました。
卓は小学校6年生で全日本ホープスを制し、東アジアホープスでも上位に進出するなど、中学1年生から全国で活躍するだろうと期待されていました。ところが中学1年生の全国中学大会は優勝どころか青森市の市予選で青森山田中学校の同級生に敗退し、県大会にも出場できなかったのだそうです。もともと遊び球が多く、あまり練習好きでなかった卓は、この敗戦から人が変わったように練習と努力を始めたのだそうです。
卓のお母さんは私に教えてくれました。
「予選で負けた後、卓は私にこう質問してきたことがあるのよ。『お母さん、僕は血のおしっこが出るまで練習しないと勝てないのかな。』と」。
「私は『卓、そうだよ。限界まで努力しないと日の丸はつけれないのよ。』」
「そう卓に伝えたけど、言った後、自分自身で涙が出てきました。」と。
その後の卓の活躍はご存知の通りです。全日本ジュニアを制し、インターハイでも三冠王に輝きました。そして、ジュニアの日本代表。世界選手権に幾度も出場し、押しも押されぬトッププレーヤーとなりました。
平成26年2月、雪の降りしきる中、青森県卓球連盟主催の講習会の講師として、卒業してから久しぶりに青森を訪れてくれた卓。講習会終了後に私の車の後部座席に乗せ、新青森駅まで送っていきました。
「板垣先生、俺、思い切って海外にチャレンジしても良いですよね。」卓がポツリと。
「何言ってんの、卓。自分の可能性にチャレンジだよ。思い切ってやるべきだし、その方が卓らしいよ。」
2015-2016年のシーズン、卓はポーランドリーグに挑戦しています。まだまだ、卓の卓球の円熟味はこれからでしょう。そして、今では一児の父親となり、家族を支える責任も増していると思います。そんな卓の益々の活躍を期待しています。
「俺の名前って、お父さん、お母さんが即決したらしいんすよ。「卓」って。」
卓が小さい頃「ポツリ」と教えてくれた言葉を思い出します。
(写真は全て卓球王国提供)
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