(2014・ITTFワールドツアー・グランドファイナル U-21優勝)
町 飛鳥選手(青森山田中学~青森山田高等学校~明治大学)以下、飛鳥。
目標であった「日本一」を「中学1年生の全日本カデット14歳の部」で達成した飛鳥。
そして飛鳥にタイトルを「持っていかれた」孝希や雅己、1つ下に入学してくる森薗政崇(現、明治大学2年)との強烈な「切磋琢磨の原理」の中で、その後の国内のシングルスではタイトルに届きませんでしたが、記録を整理してみれば、飛鳥は青森山田時代、最も安定した成績を残した選手だと思います。
(H18年・全日本ホープス(小6)銀メダル(決 勝・丹羽孝希選手))
H19年・全日本カデット(中1)14歳以下シングルス・金メダル(決勝・吉田雅己選手)
H20年・全国中学校 (中2)銀メダル(決 勝・丹羽孝希選手)
H20年・全日本カデット(中2)銀メダル(決 勝・丹羽孝希選手)
H20年・全日本ジュニア(中2)銅メダル(準決勝・上田 仁選手)
H21年・全国中学校 (中3)銅メダル(準決勝・吉田雅己選手)
H21年・全日本ジュニア(中3)銅メダル(準決勝・平野友樹選手)
H22年・インターハイ (高1)銀メダル(決 勝・丹羽孝希選手)
H22年・全日本ジュニア(高1)銅メダル(準決勝・吉田雅己選手)
H23年・インターハイ (高2)銀メダル(決 勝・丹羽孝希選手)
H23年・全日本ジュニア(高2)銅メダル(準決勝・吉田雅己選手)
H24年・インターハイ (高3)銅メダル(準決勝・森薗政崇選手)
ダブルスに関しては、たくさんの金メダル(世界ジュニア優勝も含みます!)を獲得しています。
(写真提供・卓球王国。アジアジュニア優勝時の写真)
高校生になり、あるヨーロッパ遠征に一緒に行った時、二人で落ち着いて話をする機会がありました。
「先生、「『銀』は『金』より『良い』って書くんですよ!(笑)」
「本当だ!なるほど!」
「でもやっぱり金(きん)欲しいっすね。最後の勝負の瞬間、どうすれば良いんすかね。」
「飛鳥。俺も明確な答えを伝えてあげることはできないけど、中1の時のように「絶対に勝ちたい」っていう目標を持って、苦しさから逃げないように、強い心を持ち続けたり、支えてもらったりするしかないんじゃない?」
「ですよね。やっぱりそこですよね…..。」
曖昧な回答しか伝えて上げられず、卒業式を迎え、いつしか数年の月日が流れました…..。
3月1日。青森山田高校の卒業式。私は学校での卒業式のあとは、寮を引き上げる生徒・親には失礼を承知で、直接会わないようにさせていただいています。いや、会うことができないんです。
「最後に挨拶せずに本当に申し訳ありません。最後に会うと涙が止まらなくなります。失礼を承知ですが、学校で最後の挨拶とさせて下さい。」
平成25年3月1日。この年だけ卒業式にテレビカメラが入ったため、最後の挨拶は卓球センターになりました。
「板垣先生。本当にお世話になりました…..。」飛鳥らがくれた最後の一言に、カメラの前でも涙がとまりませんでした…。
(後編に続く。)
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