ご家族ご親族の方々におかれましては心よりお悔やみ申し上げます。
先日、日本の友人や教え子から「吉田先生がお亡くなりになりました」と連絡が来ました。
私が教え子の中でも一番吉田先生と長きにわたり生活し、たくさん教わったと思います。言うまでもなく、今回のことは非常に悲しくショックな出来事でした。そのため、どのようにこのブログを書いたらいいのか非常に悩みましたし書いている現在もどのようなことを書いていいのか迷っています。
1970年生まれの私は熊谷商業高校〜埼工大深谷高校時代に生徒として3年間、青森山田では指導者のサポートとして14年間一緒に生活をし、自分の人生のほぼ3分の1を先生から指導していただきました。
中学校3年生の時に熊谷商業高校への進学が決まり、地元でスポーツ店を営んでいた祖父に報告に行った時に「孝司、卓球では飯は食っていけないよ。もう一度考えたほうがいいと思う」と言われてから早30年以上経ち、今、こうして家族と一緒に卓球のプロコーチとしてドイツで充実した生活を送っています。 全ては吉田先生との出会い、吉田先生のご指導がなければ実現できない夢でした。
先生は本当に厳しかった。
とにかく『選手のため』に練習場にいる。
自分が青森山田に着任した時一番に練習場に来ていました。そしてコート整備をする。そんな真摯な姿を今でも覚えています。
預かった選手たちを責任を持って絶対に勝たせる。日の丸をつける選手に育てる。
そこまでの覚悟を持って生徒を預かっていました。それはもちろん自分のためではなく選手のため。そんな深い愛情を選手に何十年も注いできました。
また、保守的な考えを持たず時代とともに変化する考え方も持っている先生には私自身大変勉強させていただきました。
例えば当時はどの強豪校も坊主が主流。しかし吉田門下生は髪型に関して注意を受けることは特になし。また真夏の暑い練習場では選手が十分な練習を出来ないからとクーラーを設置し練習に没頭できる環境を整えました。そして選手を海外に送り出し武者修行をさせました。当時はスポーツ全体で見ても中学生が海外に武者修行などというのは珍しかったと思います。でも吉田先生は全て『選手を強くするため』ということで学校と掛け合い実現させました。そのおかげで多くの強い選手が育ったのはご存知の通りです。選手間の異常な上下関係を好まず、下級生がすべき最低限のことをすれば特にそこを注意することはありませんでした。
そして、ある目的のために何をどれだけどのように行えばいいか全て逆算して生活をする。これを徹底的に実践する。
こういった大切なことを数え切れないほど教えていただき、自分の人生の教訓になっているのは言うまでもありません。
吉田先生の話をすれば尽きませんし、どんなに偉大だったか私の文面では伝わらないでしょうが、気持ちが落ち着きまた機会がありましたら吉田先生に教わったことをこのブログを通じて発信していきたいと思います。
一つだけ心残りなのは間近に迫った東京オリンピックを見ていただけないことです。吉田門下生が選手として指導者として活躍する瞬間を是非、天国から応援してください。
でも優しい言葉は必要ありません。「何やってんだ!」いつも通り厳しい眼差しの奥に、時折見せてくれる温かい目で見守って欲しいです。
先生、本当にありがとうございました。
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