ある全日本選手権期間中、邱さんと夕飯を食べているときでした。隣に中国人の団体が入ってきました。どうやら全日本を観戦した方たちのようです。
「森薗君のバックハンドは凄いね。天才的だね。最初から出来るんだろうね。」なぜか日本語で話しているので私にも分かります。
邱さんが声をかけました。このあたりは流石!
「違うよ。森薗の最高に素晴らしいところはフォアハンドと気持ちだよ。あんなに、全部のボールに気を抜かず集中して打てる選手は世界でもいないよ。あれは教えてできるものじゃない。それにフォアハンドの打球点が速い。足が速いからね。打球点速く正確に連打されたら、誰もとれないよ。
バックハンド?ドイツで覚えたんだよ。打ち方と試合での使い方を。
政崇は天才じゃないよ。あの気持ちの入った、見る人に感動を与えることができること、それ自体が森薗スタイルだよ。」
邱さんの話を聞いていた中国人の方たちだけでなく、いつの間にか板垣のグラスを持つ手も止まっていました。
翌日、森薗・三部(航平)(青森山田高校当時1年生)は64年ぶりとなる高校生として男子ダブルス優勝を成し遂げました。表彰式後、政崇が板垣のところにやってきました。「先生、副賞としていただいたこの時計は板垣先生へのプレゼントです。ありがとうございました。」涙腺の弱い私はトイレに駆け込みました。。。
平成25年度・北九州インターハイ。青森山田高校は地元希望ヶ丘高等学校に学校対抗決勝で敗退し、準優勝に終わりました。男子シングルス優勝は政崇、男子ダブルス準優勝は森薗・三部ペアでした。政崇は男子ダブルス決勝の1敗のみで大会を終了しました。
翌平成26年度・甲府インターハイ。明治大学に進学した政崇は、卒業生の神巧也(当時明治大学4年)、町飛鳥(当時明治大学2年)と共にインターハイに来てくれました。対戦相手のビデオ研究、補食の買出し、選手のユニフォームの洗濯までしてくれました。卒業生の協力のお蔭で青森山田高校として三冠を獲得することができました。
大会が終わり、政崇のお母さんにお礼のラインをしました。「お蔭様で三冠を獲ることができました。ありがとうございました。」と。お母さんは「政崇は、北九州で負けたのは自分のせいだから今年は何としてでも優勝してほしい。」とお母さんに伝えて自宅を出たそうです。自分のせい??政崇は団体戦は単複全勝だったのに….。涙腺の弱い私は羽田空港のトイレに駆け込みました。。。
政崇は甲府への出発当日、JR駅のホームでニッタクのTシャツを着て電車待ちをしている時に「おっ!森薗君だ。インターハイ頑張ってね!」と見ず知らずの方から声をかけられ「はい!頑張ってきます!」と答えて電車に乗り込んだそうです(笑)。
この青年を応援しない人はいるのだろうか。
十数年、青森山田で多くの選手と時間を過ごしてきましたが、その中で二人だけ。メールアドレスに「Olympic」の文字を入れている選手は。
夢は叶うもの。叶わせるもの。
次回は、その邱さんを紹介したいと思います。
「時を忘れさせる天才指導者(1)邱建新コーチ」お楽しみに。
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