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板垣孝司ブログ
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ドイツ1部監督。青森山田前監督

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板垣孝司の全レシーブ克服
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元青森山田学園卓球部監督、現ドイツプロリーグ1部チームのヘッドコーチ。初心者からトップ選手、ジュニア選手に有効な練習方法まで色々なテクニックを紹介します。
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2015年7月13日 8:00 公開

ロンドンオリンピックへの道 丹羽 孝希選手(中編)

ロンドンオリンピックへの道 丹羽 孝希選手(中編)

丹羽孝希選手(青森山田中学~青森山田高等学校~明治大学)
(以下、孝希)

もともと口数も多くなく、余計な事は喋らない孝希。試合中も決して表情を崩さない。本当に喜びを爆発させた瞬間を見たのは過去にも3度だけでした。
1.平成23年度全日本卓球選手権男子シングルス決勝戦、ゲームオール9本で水谷隼選手に勝ち初優勝した瞬間。
2.2014世界卓球選手権団体戦(東京)、男子団体準決勝1番でポルトガルのマルコス・フレイタス選手に勝った瞬間。
3.2012年香港で行われたロンドンオリンピック・アジア大陸予選で馬龍選手に勝ち、自力で夢であったオリンピック出場権を獲得した瞬間。

ITTFでは『ICE MAN』と報道されることもしばしばありましたが、私には本音を話してくれていました。在学中、海外遠征から帰国した際、よく私の車に乗せ(故)前・青森山田学園理事長の木村隆文先生に挨拶に行きました。その車内で色んな話をしました。特に「次はどこを狙うのか」という話でした。「どうしてもロンドンオリンピックに出たい」これが孝希の回答でした。「高校在学中にオリンピック代表」という夢。孝希の両親にも約束した大きな目標でした。

いよいよ世界ランキングも上がってきて「オリンピック出場」が手の届くところまで来たある夜、私の携帯が鳴りました。「板垣先生。孝希をグアムでのジュニアサーキットに自費参加させたいと思います。一緒に行ってもらえませんか。」孝希のお父さんからでした。ジュニアサーキットで優勝してもボーナスポイントが8点貰えるだけ。ランキングの下位の選手に負ければ大きなマイナス点になってしまいます。それでも、オリンピックという夢に向かって悔いは残したくない。やれることはやってあげたいという孝希のお父さんの願いでした。

二人で行ったグアムでは決勝戦で韓国のカットマンに敗退しました。1ゲーム目を簡単に勝ち、2ゲーム目7-1リードの場面、少しいい加減気味に放ったバックドライブのミスから流れを失いました。最後はカットマンの一か八かの攻撃が入ってきて逆転負けをしました。

グアムから連戦したフランスジュニアサーキットでもカットマンに敗退しました。孝希は失意のままパリで行われる世界選手権に移動しました。
「期待された結果を残させてあげることができず、申し訳ありませんでした。」私は空港へ向かう電車の中から孝希のお父さんにメールを送りました。「板垣先生、孝希にとっての試練ですよ。オリンピックへの道はそんなに甘くないのはわかっています。見ててください。孝希はこのままじゃ終わらない。僕は孝希を信じてます。今回はいろんな意味で孝希にとって大きな経験になったと思います。引率してくれてありがとうございました。」涙腺の弱い私は、ヨーロッパの平原を走る電車の中で涙を流しました。

一時、世界ランキングを下げた孝希ですが、また一気にランキングを上げ始めました。ある日、国際大会から青森空港に帰ってきた孝希を迎えに行き、私の車の後部座席に乗せました。「孝希、ごめんな。グアムでは勝たせてあげることができなくて。」「先生。あの試合は僕にとっては意味のある敗戦でした。正直、あの負けがあるから1本1本の大切さ・1球の重さがわかりました。だから最近の試合は苦しい場面でも頑張りきれていますよ。」笑いながら話す孝希をバックミラーで見ることができず、弱った涙腺をグッと堪えました。

2012年2月、仙台市で行われた東北選抜大会に出場した後、仙台駅からカタール・クウェートオープンに向かいました。何も言わず、グッと握手を交わして送り出しました。そしてこの中東シリーズ後にとうとうアナウンスがありました。

「ロンドンオリンピック卓球競技 日本男子 第3代表は丹羽孝希(当時青森山田高校2年)」

夢は叶うもの。叶わせるもの。

(次回はいよいよ自力でアジア大陸予選を勝ち抜いた「VS馬龍編」を紹介します。)

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