我が家では食べ盛りの子供たちに
「及川くん盛りで!」
という専門用語があります(笑)。デュッセルドルフで練習と生活をし、ブンデスリーグの時にクニックスホーフェンに来て「そろそろ日本食が恋しいっす」と、我が家で家族と一緒に日本食を食べる時、
「及川、お代わりは?」
「1膳目の大盛りよりも、もうちょっと多くお願いします!」
これを子供たちは「及川くん盛り」と勝手に名付けました笑。
試合をライブで見ていて思いました。
やっぱり「全日本卓球選手権」の名の重みは変わらない。
無観客の特別ルールで行われる大会。上位に上がれば上がるほど今まで経験したことのないある種不思議な緊張感が漂ってくるだろうとは予想できました。帯同できるコーチ陣やチーム関係者の数も制限される。だからこそ、勝ち上がる選手に求められるのは「困難にも自分一人で対応出来る人間としての逞しさとしぶとさを持った選手」が生き残るだろうと予想しました。
予想通り、ベスト4には異国の地ドイツで孤独に耐えながら練習を積み重ね、生きていくために独学で語学を学び、「世界中には色んな文化があるんだ。少しのトラブルくらいは笑って許そうぜ!」と言える、肝の座った卒業生3人が残りました。
本当に誰の応援でもなく、3人に優勝してもらいたいと思う素晴らしい試合。
最高のショットをもらいました!
そして青森山田中学1年から10年間、一緒に高みを目指した及川選手が、とうとう全日本チャンピオンの称号を手に入れました。
初めて1部リーグに挑戦し、デュッセルドルフ戦でカールソン(スウェーデン)にボコボコに負けて、1000人を超す大観衆の前で、及川選手を日本語で大声で注意した試合。そして2シーズン目は個人でも大きく勝率を伸ばし、ヨーロッパの皇帝、ティモ・ボル選手にも勝利した試合など。懐かしい思い出が走馬灯のように蘇ってきました。
偶然にも全日本決勝の日はクニックスホーフェンとデュッセルドルフのホームゲームでした。試合後、コーチのデニー・ハイスターやティモに
「今日、及川選手が全日本で優勝したんだ。彼におめでとうのメッセージを送りたいんだけど」と相談すると
「もちろん結果は知ってるよ!ミズキの優勝にメッセージを送らない理由なんて見つからないね!」と全選手が快くメーセージをくれました!
及川選手がどれだけブンデスリーグの選手・関係者に認めてもらっていたかが伝わってきます!
表彰式やインタビューが一段落した頃、及川選手から電話をもらいました。
家族全員直接お祝いを言えました。
「長男は及川より大きくなったぞ!165センチ越えしたぞ」
「卓球は160センチくらいがちょうどいいんです」と言い返しも!
次に来るときには、じゃがりこと宮城の美味しい乾燥納豆を持って行きます!と言ってくれ、全日本チャンピオンになってもおごることなくいつもの及川でした。
僕が彼のために費やした情熱は、卓球の技術とか戦術だけではなく、彼がラケット1本で卓球のプロ選手として生きていくために何が大切なのかを伝えることでした。
優勝したからではありません。試合をライブで見ていて思いました。
「及川は人が強くなった」
「僕の気持ちが伝わったかも」
と。
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