中学生時代最後の2月に、スウェーデンで行われるITTFジュニアサーキットにJNTから派遣していただけることになりました。ようやく掴んだ始めての日本代表ヨーロッパ遠征。でも、「ここでジュニアの試合に出場してしまえば、世界ランキングのスタートが低くなってしまう。優勝できてもせいぜい300位台?。同時期に行われるITTFプロツアー・中東シリーズに自費で出場し、もし世界ランキングの高い選手に勝てたら、100位台からスタートできるのに。」
雅己の力を冷静に分析し、今が勝負を賭けるタイミング!と判断しました。JNT合宿を視察していた東京都・赤羽から雅己のお母さんに電話をしていました。
「中東シリーズにチャレンジさせてみたいと思います。」雅己のお母さんは答えてくださいました。
ITTFプロツアー中東シリーズでは、名のある選手達に勝利し、翌月の世界ランキング(スタートランキング)を100位後半でスタートしました。(同時期の丹羽選手は確かまだ200位台でした。)
その後、ジュニアでは確固たる日本代表という位置を掴んだ雅己。あるヨーロッパ遠征の帰り、二人で電車を乗り継ぎ空港へ向かいながらたくさんの話をしました。
「僕はドイツでプレーをし、いつか1部のレギュラーを掴み、いつか日本代表として世界選手権・オリンピックに出場し、いつかメダルを獲得したい。地道に一歩ずつでいいです。でも、できると思います。」
そして、ドイツ・ブンデスリーグ2部で36勝1敗という驚異的な新記録を成し遂げた雅己は、1部の名門チームのグレンツァオでプレーすることが決まりました。
ブンデスリーグのシーズンが始まると時差の関係でライブ放送を見るのは大変です。(時々見ますが。)月曜日朝方起きて現地日曜日の試合の結果を確認するのが日課です。「また2-2ラストで雅己が勝っている。凄いなぁ。」すぐにラインで「渋いな~。スーパークラッチプレーヤーだな(笑)!」「あざす(笑)!」雅己が返信してくれます。ブンデスリーグの勝ち星を世界ランキングにカウントしてくれたら、雅己はもう世界30位以内に入っていると思います。それ位団体戦は強い(特に後半は)!!!
そしてとうとう、雅己がクラッチプレーヤーを卒業する日が来ました。2015年世界卓球選手権蘇州大会・日本代表選手選考会。現地に足を運ばなかった板垣は東京都の(株)バタフライ卓球道場で合宿中でした。パソコンを開くとライブ中継をしていました。準決勝で大島選手、決勝で松平健太選手を破り、見事に個人戦の日本代表を自力で掴んだ雅己。「とうとう夢を掴んだな。雅己、本当におめでとう。」涙腺の弱い私はバタフライ卓球道場のトイレで鼻をかんでから、外に出て雅己のお母さんに電話をしました。「雅己、代表獲りましたよ!」
見事にクラッチプレーヤーからシングルスでも代表を掴んだ雅己。蘇州大会ではポルトガルのマルコス・フレイタス選手に惜敗しましたが「侍」と卓球雑誌に取り上げていただける雅己の人間性と、年々その「渋さ」を磨いてくる進化は、1年遅れでもまだまだ雅己が何かやってくれそうな気がします。
そんな雅己を人として尊敬します。人として大好きです。
余談ではありますが、私、板垣も現役時代はクラッチプレーヤー(モドキ)だったかもしれません。大学4年生時の8月、全日本大学対抗(インカレ)決勝戦では2-2のラストで勝利し、母校を日本一に導きました!相手が伸び伸びとプレーできる前半では勝ち目がなくても、緊張してくれる場面だけなら勝てる確率が少し上がります(笑)。ただ雅己と違うのはここからです。翌9月に行われた秋期関東学生リーグでは初戦の1番への出場を志願し出場させてもらいました。が、勢いある対戦校の1年生に「4-21、6-21」で敗退し、チームのムードを最悪にしてしまいました。当時の(故)梨本監督に「板垣、悪い悪い。1番とラストを反対に書いちゃったよ。」と言われ、2戦目からは定番のラスト。勝っても負けても出番の少ないラストでアップだけは上達し、4年間の通算成績を9勝13敗で学生生活を終えました(泣)。
「夢は叶うもの。叶えさせるもの。」
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