今から約15年前、日本の男子卓球が世界でも厳しくなった時代、「将来、日本の男子卓球が世界でメダルを獲るために」水谷選手、坂本選手、岸川選手らがドイツに卓球留学をしました。彼らは本当に大きな経験をしたと思います。当時のヘッドコーチのマリオ・アミズィッチが彼らをプロとしての卓球選手に育ててくれました。
「マリオ組に召集されなくても青森山田のトップ選手に大きな経験をさせよう!」当時の総監督・吉田安夫先生(故)、木村理事長先生(故)、ドイツ・フリッケンハオゼンのヘッドコーチの邱建新さんがプロジェクトを組み、松平健太選手、丹羽孝希選手ら多くの選手がドイツで毎週のように行われるプロリーグに出場しました。たくさんの観客の前で行われるセンターコートでの試合は、彼らの卓球人生を左右させるような経験を積ませました。
世界トップレベルのブンデスリーグに長男のアキトが出場したことは、私には葛藤がありました。2016年にドイツに来た当時は、自分の子供達に卓球をさせることなど考えてもいませんでしたが、毎週のように目の前で繰り広げられるブンデスリーグの試合を見るという経験を積んだ子供達は「僕たちも真剣に練習したい。そしていつか、あのコートでプレーしてみたい」と言い始めました。子供達も一緒に練習するようになり早5年の月日が流れました。
アキトは一昨年同年代のドイツナショナルチーム合宿へ招待されました。実はこの合宿こそが重要で、これに選ばれたお陰でブンデスリーグ1部でプレーできるライセンスの取得が可能になったようです。1部への登録は名前だけ書けば良いと誤解していましたが、ドイツ在中の選手には条件があることを知ることができました。アキトは現在クニックスホーフェンの第2チーム・4部リーグの2番手としてプレーしています。前半戦の成績は散々だったものの、12月に梅村さんに指導していただいたり、トップチームのザーリュブリュッケンの合宿に参加したりで、後半戦の2試合を終えシングルス3勝1敗と、初めて私から見て合格点の試合をすることができました。
ザールブリュッケンの合宿では、アキトは1部の選手や世界代表の選手とばかり練習できると思い込んで出発しましたが、「僕は強い人とは練習すらさせてもらえなかった。それは自分はブロックすらできなかったから。力不足」とショックを受けて帰って来ました。結果的にはそれが現実を知る経験となりました。「ボールが入らなければ練習すらさせてもらえない」という経験から、帰宅後は練習に対する目つきや態度が以前とは変わったような気がしました。【海外組】の選手がドイツに来た際に練習させてもらえなかったという経験は大なり小なりあったということは聞いています。一方日本では監督や選手は周りを見て配慮します。しかし外国では自分のための練習という考え方なので、解決するには地力をつけるしかありません。
アキトがブンデスリーグに出るというのはチームとしては危機的状況。対戦相手のデュダ選手は真面目で遊び球の全くない選手。大勢のサポーターの前で0点で負ける可能性の方が高い。緊張して手も震えるだろう。ボールがラケットにすら当たらないだろう。それだけ1部のレベルは違います。「自分の力を発揮してこいよ!」と言っても、そんなことができるはずがない。
でも出すしかない..
目標であった合計で11点だけを取ることができました。散々な試合だったにもかかわらず
「ア・キ・ト!ア・キ・ト!」と大声援を送ってくれるサポーターの方々…
【 アキトが取った11点だけの動画です 】
キリアンが4番で大逆転勝ちをしてくれたお陰でダブルスでもコートに立ち、世界ダブルス2位のボールを受けることができました。
試合後は何も聞かないことに決めていましたが「緊張した?」とだけ聞いてしまいました。
「全く緊張しなかった!でも本当にデュダのボールは次元が違った。」
「俺、もっと一生懸命頑張って、またいつかこのコートに立ちたいな。本当に楽しかった!立てるかな?」
私は答えませんでした。卓球のプロとしてブンデスリーグのコートに立つことがどれだけ厳しい世界なのか見ているからです。
大観衆の前で、たった1台の卓球台で試合をする。選手は自身の五感を最大限に発揮し、自分の限界能力を高めていく。それがプロリーグ。平屋コーチは4年前このコートで勝利し、クニックスホーフェンをブンデスリーグ初勝利に導いてくれました。
全日本チャンピオンの及川選手もこのコートで鍛えられました。フルゲーム9点で勝利しフロアーに倒れこんだ及川選手の姿は今でも目に焼き付いています。
アキトは階段を一段ずつ登ってこの場に立ったわけではありません。エレベーターに乗せてもらって最上階で最高の景色を見せてもらった状態です。でも階段を一段ずつ登った選手のような積み重ねた経験がないので足元が不安です。ですので【立場を勘違い】させないためにこのことはアキトには話しましたし、本人も理解したと思います。でもせっかくもらったチャンス、精一杯試合できたようです。
小さな町ならではのこともありました。前日アキトが試合に出るという記事が新聞にでました。試合当日サポーターの方がアキトに「デビューおめでとう。試合頑張れ」と時計をプレゼントしてくれました。本来なら重圧すら感じるはずですが、小さな町ではサポーターが選手を支えてくれています。この町で卓球をすることで多くの人に応援され暖かく見守られていることに胸が熱くなります。町の方々に応援してもらっているという経験を積むことができました。
自宅では「ホント子供以下だよね」と毎日妻に言われている父親ですが、子供たちに伝えるのは一つだけです。
「パパがお金を払ってでも欲しいのは時間と経験。時間は買えないけど。だから本物の経験をたくさん積んで自分を成長させてね。」と。
不器用で進歩のスピードが決して速くないアキト。この貴重な経験がアキトの進歩のスピードを少しでも加速させるきっかけとなれば嬉しいです。
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