「ヤマダ卒業生」というライングループがあります。グループ写真は青森山田学園創設者の山田キミ先生。福原愛さんが写真を探してくれました。
平成27年度・大津インターハイにはたくさんの卒業生が応援に来て下さるとグループラインを通して聞いていました。日本代表として現役で活躍している卒業生、指導者として同じインターハイで戦っている卒業生。日本一を目指しかつて寝食を共にした卒業生達。彼らが声を枯らして応援してくれる姿を大会前から想像していました。
選手はどう感じたかわかりませんが、私には相当のプレッシャーでした(笑)。今だから言えますが..。
「8月12日の学校対抗準決勝、決勝の時間に合わせて卒業生が来てくれる。ならば、まずは準決勝に確実に駒を進めなければならない。シード以外はフリー抽選となる学校対抗の組み合わせで、マークしなければならない学校が数校あるが、卒業生に「準決勝に進めなかった」などとは口が裂けても言えない…。」
8月12日。大会3日目の学校対抗準決勝、決勝の応援席には山田の保護者とともに彼らが陣取って大声援を送ってくれました。出場した選手の心にも相当のプレッシャーがあったかもしれませんが、彼らの声援が、選手達に勇気を与えてくれたのは間違いありません。
(写真提供:卓球王国)
学校対抗の優勝を決め、整列、対戦記録にサインをした後、最初に私の大親友であり最大のライバルである橋津先生に挨拶に行きました。そして自分のカバンをベンチに置きっぱなしにしながら真っ先に観客席に駆け上がりました。応援してくれた一人一人の卒業生と握手をしました。
「みんなありがとう!」
大矢英俊(現東京アート)に「板垣先生、観客席に上がってくるの、超速くないですか(笑)?」と言われるくらい。「リンツで世界ジュニア団体優勝したとき、お前がベンチから飛び出したスピードには勝てないよ。」
卒業生と呼んであげることはできませんでしたが、事情があり、全国の強豪高校に進学したかつての仲間達。インターハイ会場に入り、自分のチームの心配は勿論でしたが、彼らの活躍に涙が溢れそうになりました。
明大中野高校2年の羽佳(後列右から二番目)は、関東高校団体優勝、シングルスでも優勝した三部の所までしっかり勝ち上がってきました。希望が丘高校2年の吉田はチームのポイントゲッターとして大活躍・シングルスランキング入り。
同じく希望が丘高校の蛭田も1年生ながら学校対抗のレギュラーとして抜擢していただきました。遊学館高校の五十嵐は1年生ながら学校対抗単複に出場・北信越大会ダブルス優勝。
埼玉栄高校1年の大谷(上集合写真の前列右から二番目)は中学時代全国大会に出場できなかったものの、関東高校シングルス第3位、インターハイに1年生で出場。学校対抗決勝を争った野田学園1年の沼村は学校対抗準々決勝のラストで勝利し、準決勝ではトップで値千金の先取点を挙げました。青森山田中学校時代、淡々と?クールに試合を進めカデット14歳の部で優勝した沼村が「インターハイ野田カラー」の「声を出してベンチ・観客席と一体になりながら。」プレーしている姿には正直、驚きました。私が指導しきれなかった精神力の強化を、橋津先生が支えてくれたのだと思いました。各校の先生方に感謝いたします。
学校対抗決勝・青森山田2対1リードの4番で及川瑞基と対戦したのは、期しくも沼村でした。沼村は青森山田中学校時代、及川と二人でよく規定練習後の自主練習を行っていたのを知っていました。ゲームセットの声を聞き、沼村がベンチの私に握手を求めてきてくれました。「強くなったね。来年は日本一だぞ!」声をかけ、野田学園のベンチに戻ろうとした沼村を、三部・高橋・一ノ瀬が引きとめ、全員が沼村と握手をし、彼の健闘を讃えたそうです。
大会を終え、青森に帰ってきたある日、山田の応援席近くで学校対抗決勝戦を観戦して下さっていた方が教えて下さいました。卒業生の一人が「今回は山田の最後のインターハイだから応援に来たのではなく、板垣先生の最後のインターハイだから駆けつけました。」と…..。朝食の皿洗いをしている時にこの情報をいただきました。
「僕は本当に幸せ者だ….。」
涙腺の弱い私は、家族にばれないように、ただただ、流れる水道を見つめていました。
卒業生・かつての仲間達。それぞれの環境でまだまだ夢を追いかけてほしいと思います。(続く)
プレミアムサービスで板垣孝司監督の卓球指導動画が見放題